継体ウォーク
継体天皇が511年に枚方市樟葉宮から京田辺市の筒城の宮に遷都したという伝承に基づき、継体天皇筒城の宮遷都1500周年記念イベントとして、まちづくり市民ねっとが継体天皇ゆかりの地を巡る「継体ウォーク」を2010年から開催してきました。
<開催履歴>
第一回 2010年10月3日(日)
樟葉宮跡(枚方市)~筒城宮跡(京田辺市 同志社大構内) 約13キロ
第二回 2011年
継体ウォーク2013 開催報告
開催日 2013年10月3日(木)
コース 近鉄大福駅→稚桜神社→磐余玉穂宮伝承地→御厨子観音→香具山(万葉の森)
→飛鳥資料館→飛鳥坐神社→飛鳥寺→酒船石遺跡→橘寺→亀石→天武・持統天皇陵
→鬼の俎・雪隠→近鉄飛鳥駅 (解散)
参加者 26名
今年の「継体ウォーク」は継体天皇の最後の宮となった「磐余玉穂の宮」伝承地を探すべく
桜井市から飛鳥路を廻りました。
一般16名 市民ねっと9名 鷹野さん 総勢26名とたくさんの方が参加されました。
まずは現在の桜井市池之内にある稚桜神社のそばに有ったと伝えられる「磐余池」の伝承地を
訪ね、地元の人から聞いた小高い丘が「磐余玉穂の宮」跡であろうと、いやここに違いないと
我々は断定しました!? その地は稲穂が実った田が広がり、青々とした草地が悠久のロマンを
語りかけてきます。
その後、香具山を越えて飛鳥に入り飛鳥資料館で昼食と見学、飛鳥坐神社や飛鳥寺ほかを
訪ね、酒船石遺跡や亀石、鬼の俎・雪隠など不思議な石の建造物を見て廻りました。
これらは何の目的で作られたのか? 様々な意見が飛び交います。
亀石は「これは蛙の顔だ」と言う意見になるほどと納得したりして。
あいにくの曇り空でしたが時々の霧雨が心地よく、彼岸花や栗や銀杏、黄金色の稲田と、
そこかしこ秋の訪れを感じつつ約10キロの行程を歩いて飛鳥駅から帰路につきました。
(記事掲載2013-10-10)
*写真はフォトギャラリーにもたくさん載せています
継体ウォーク2013のご案内
継体ウォーク2012 開催報告
開催日 2012年10月2日(火)
コース 茨木市藍野大学病院前駐車場→太田茶臼山古墳→番山古墳→新池ハニワ工場公園
→闘鶏野神社→今城塚古代歴史館→今城塚古墳→JR摂津富田駅 (解散)
参加者 24名
台風一過秋晴れのなか、9時にJR京田辺駅に集合、教育委員会の鷹野様も同行いただき、
市のマイクロバスでスタート地の茨木市藍野病院へ向かいました。
今回は、鷹野さまと会員8名、一般の参加者15名の一行となりました。
一般の中には、前回・前々回の参加者に加え、会員の紹介で新たに参加される方々や
京都新聞を見て参加された方もおられました。
藍野病院から一番目のポイントは「太田茶臼山古墳」、宮内庁が継体天皇陵として管理して
いるが、考古学的に見れば築造年代と継体天皇没年が合わない・・???
立派な前方後円墳だけに、果たして被葬者は誰なのか謎が残ります。
その後「新池ハニワ工場公園」へ、ここは日本最古で最大級のハニワ工場の遺跡を整備し、
登り釜や工房を復元して当時の様子を再現しています。
ここでお昼をとりました。
そして、これこそが継体天皇陵と確実視されている「今城塚古墳」へ向かうと、ここは
もう高槻市、古墳の脇には立派な「今城塚古代歴史館」がありました。
学芸員さんの案内のもと、我が京田辺市にもこんな立派な博物館が欲しい ! と思いつつ
ひとしきり見学後、「今城塚古墳」へ。
先ほど見学した「新池ハニワ工場」で作られた一万体ものハニワはどのように収められていたのか?
古墳の周りに設けられた「祭祀場」を再現していて、様々な形をしたハニワが並ぶ様に積年の疑問が
氷解しました。
こうして心地よい疲れと共にJR摂津富田駅で解散、帰路につきました。
陽射しはあるものの、秋風が心地よい一日でした。
来年はどんなコースを廻るのでしょうか? また楽しみです。
(記事 2012-10-05)
* 写真はフォトギャラリーに多数載せています。
継体ウォーク2012のご案内
下記案内をクリックすると拡大します。 閉じるときは右下の×印をクリックしてください。
下見
今年も開催に向けて、7月24日(火)にコースの下見に行ってまいりました。
猛暑のなか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・